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XB-19は、アメリカ陸軍航空隊向けにダグラス社が試作した爆撃機で1938年に試作機1機のみ建造された。当時としては最大規模の重爆撃機であった。同時期にボーイング社も同様に大きな機体を試作しており、そちらはXB-15である。 == 概要 == 1930年代に入り、アメリカ陸軍航空隊は、超長距離爆撃機の開発を各航空機メーカーに求めた。各メーカーの開発計画はXBLR(Experimental Bomber, Long Range)として、ボーイング社案にはXBLR-1(後にXB-15)、ダグラス社案にはXBLR-2、スコルスキー社案にはXBLR-3(製造されず)の名称が付けられた〔DOUGLAS XB-19 〕。 ダグラス社も長距離爆撃機の検討を行なっており、モックアップ審査の後、1935年10月18日にXBLR-2の発注が成された〔第二次大戦米陸軍機全集 航空ファンイラストレイテッドNo.74 文林堂 1994年 P146〕。1936年3月8日にXB-19の名称が与えられている〔。 ダグラス社は開発中に、機体が技術的に見るべきところが無く、その割にコストや開発時間がかかる事に気付き、開発中止を望むようになった〔〔。しかし、陸軍航空隊は、大型爆撃機建造技術の開発と飛行特性の研究のための実験機としての利用を望み、開発は継続された。機体は、全幅64.6mに達する大型機であり、37mm機銃をはじめとして、機銃座が8基、機銃計12門が装備されていた〔。 1941年6月27日に初飛行に成功し、1943年にはエンジンをライト R-3350空冷星型エンジンから、アリソン V-1710を左右に2つつないだ液冷複列W型エンジンであるアリソンV-3420に換装され、XB-19Aとなった。試験機としての使命が終わった後は空軍発足後の1949年まで輸送機として使用された〔DOUGLAS XB-19A 〕。 空軍では退役したXB-19Aを保存展示する計画があったが、当時はまだ退役航空機を展示する博物館が無かったため、結局XB-19Aの完全な機体は保存されなかった。ランディングギアのタイヤのみが2つ残され、それぞれ米国オハイオ州の国立アメリカ空軍博物館とユタ州のアメリカ空軍ヒル基地付属ヒル航空博物館に展示されている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「XB-19 (航空機)」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Douglas XB-19 」があります。 スポンサード リンク
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